2010年
12月
29日
水
ピチカートファイヴをはじめ、様々なポップユニットでも活躍したサウンド・クリエイター鴨宮諒が、話題のドラマ「もやしもん」の音楽を担当。
2010年
12月
29日
水
エレファントカシマシのDVD「エレファントカシマシ EPIC映像作品集 1988-1994」が、2011年1月1日に発売される。
2010年
12月
29日
水
EPOが、2011年1月15日には代官山「晴れたら空に豆まいて」にてニューイヤー・イベント「~JOEPO~ Radio eponicaへようこそ!」が開催。
2010年
12月
26日
日
ヒットの規模をはかる場合によく使われる尺度としてビルボード(米)のシングル・チャートの最高位というものがあるが、この尺度では表現できないヒット曲が生まれることもある。スティングの「フラジャイル」などは、その代表例と言えるのではないだろうか。
この曲、スティングの大ヒット・アルバム『ナッシング・ライク・ザ・サン』からシングルとしてカットされたものの、イギリスでは最高位70位止まり。アメリカではリリースされず。というわけで、お世辞にもシングル・ヒットしたとは言い難い。しかし、この曲が発表された87年から25年以上経過している現在でもネイチャー系のテレビ番組やドキュメンタリー映画にさかんに使われ、環境保全プロジェクト・アルバムにも好んでコレクションされている。つまり、“自然保護”のテーマ曲のように取り上げられ、隠れた大ヒット曲となっているのだ。
こうした現象は、
♪生身の体に鋼の刃が突き刺さり、流れた血が夕日に染まって乾いていくとき、明日にでも雨が降れば血痕は洗い流される。だけどぼくらの心を襲ったものはいつまでも消え去りはしない♪(中川五郎氏対訳より)
と歌われる歌詞に負うところが大きい。が、このメッセージが人々の心にダイレクトに届いていった背景には、もちろんスティング自身の活動がある。
アマゾンの熱帯雨林の危機を知ったスティングは「ブラジルの奥地、アマゾンのジャングルには地球上の緑の60%が集中しているが、開発、乱伐で消滅してしまう危機にある。地球上のどこの自然も大切なものだが、地球規模の環境の保全を考えたとき、アマゾンが最も象徴的だと思って、熱帯雨林救済プロジェクトをスタートさせた」と語り、大統領や政府関係者とも会見を重ね、基金を設立して土地を買い上げるトラスト運動を始めたのが89年のこと。手始めに環境団体グリーンピースが企画したプロジェクト・アルバム『レインボウ・ウォーリアーズ』に1曲提供したスティングは、続いてジョニ・ミッチェル、オリビア・ニュートン・ジョンなど賛同者を集めてレコーディングした「スピリット・オブ・ザ・フォレスト」やこの「フラジャイル」をフィーチャーしたプロジェクト・レコードを発売。さらに、88年のヒューマン・ライツ・ツアーで親交を深めたアーティストに協力を要請し、90年2月、ブルース・スプリングスティーン、ブランフォード・マルサリス、ドン・ヘンリー、ポール・サイモン、ジャクソン・ブラウンとともにレインフォレスト・ベネフィット・コンサートを敢行した。
また、ビバリーヒルズの映画関係社の自宅で、超高級なプライベート・ライブを開いたこともある。このときの参加メンバーは、ポール、ドン、ブランフォードに加え、ジョー・ウォルシュ、ブルース・ホーンズビーも顔を見せ、1枚300万円(!)というチケット代で、100万ドル以上を集めたという。92年には、レインフォレスト・ベネフィット・アルバム『アースライズ』を中心となって制作。ここには、この「フラジャイル」や「スピリット・オブ・ザ・フォレスト」の他、U2、エルトン・ジョン、スティーヴ・ウィンウッド、ジェネシスといった大物たちの曲を収録。商業的にも大成功となり、かなり多額の資金がレインフォレスト・ファウンデーションに贈られている。
こうした地球環境保護運動は継続が必要だが、スティングは「フラジャイル」発表から今日まで変わることなくベネフィット活動を続けている。それもアーティストが単に楽曲で協力するといったレベルではなく、運動のリーダーとして積極的に活動する姿が我々の目に焼き付いてしまうような活動ぶりだ。だからこそ「フラジャイル」は、スティングの一連の運動をイメージさせるし、さらに大きく“自然保護”のテーマ曲のように取り上げられているわけだ。アマゾンに限らず、湾岸戦争のときにオイルまみれになった鳥や、酸性雨で枯れ果てたヨーロッパの森林といった映像を見るたびに、人々の脳裏にこの曲が流れてくる。そういった意味でこの曲は21世紀に残すべき名曲のひとつであり、20世紀の間違った開発を後世に伝える、生きた歴史教材にもなると思う。心して聴くべし。
2010年
12月
22日
水
フジテレビ系音楽番組「夜のヒットスタジオ」に中森明菜が出演した際の映像をまとめたDVD作品集「中森明菜 in 夜のヒットスタジオ」が、12月22日に発売された。
2010年
12月
22日
水
1970年に開催された野外フェス「第2回 全日本フォークジャンボリー」の模様を記録した同年公開のドキュメンタリー映画「だからここに来た!」が、12月15日にDVDリリースされた。
2010年
12月
22日
水
12月14日に下北沢CLUB QueでTHEピーズとともに“大木兄弟生誕45周年記念ライブ”を開催したTOMOVSKYは、15日にはアルバム『秒針』をリリースしている。
2010年
12月
22日
水
今年1月に帰らぬ人となった浅川マキ。その一周忌を前に、12月26日~28日の3日間にわたり、浅川と共演を重ねた渋谷毅のプロデュースによる「こんな風に過ぎて行くのなら」~浅川マキに捧ぐ三日間~が新宿ピットインにて開催される。
2010年
12月
22日
水
ヒカシューのリイシュー第8弾として、長らく廃盤だったアルバム『人間の顔』が12月23日に再発される。
2010年
12月
21日
火
8月から始まったマンスリー・ライブ・シリーズの最終回は、来年2月の30周年記念ライブの景気のいい予告編になったように思う。この日のバンドは、中村達也(ds)、TOKIE(b)、小島良喜(key)に布袋という4人編成。武道館もこの布陣がベースになるんじゃないかと思われるが、さてどうだろう?
今回のマンスリー・ライブ・シリーズについて、この日のMCで「ケガをして休んだ時期にあらためてギターを向き合うことになった」と布袋は語っていたが、そのなかでようやくギターをある程度使いこなせるようになってきた感触もあって、それを確認するためにもこうした空間が必要だったという話である。
それは新しいアルバムをリリースして、その内容をプレゼンテーションするのを中心のテーマに据えたライブとは違う形になるのも当然で、ロキシー・ミュージックやプレスリーなど洋楽のカバーを数曲並べたり、いままでステージでやったことがない曲を披露してみたり、といったこの日のセット・リストはそうした主旨がより具体的に表現された形であるというふうにも言えるだろう。つまり、自分の音楽の振り幅や奥行きを確かめ、そのなかで自分のギターや歌の位置を再確認するということ。さらには、この濃密な空間のなかでその強度や柔軟性を実感すること。そうした目論見が十分に達成されたシリーズになったのではないか。
ちなみに、この日はテリー・ボジオが来場していることがアンコールで紹介されたが、テリーも2月の武道館が観たくなったんじゃないだろうか。
2010年
12月
19日
日
アルバム『V.S.G.P』リリース記念ライブ、その第2日である。1日目は、アルバムではDISC-2の内容に相応するピアノとストリングスを従えてのライブだったが、この日はDISC-1にも参加しているギタリスト菊池真義をゲストに迎えて、ギターと黒沢のボーカルで構成された。しかも2部構成で、1部は黒沢ひとり、2部は菊池とのデュエットでの演奏である。
2部の冒頭、2曲演奏し終わった後の最初のMCで、黒沢が「誰かと一緒に演奏するって言うのは楽しいよね」とつぶやくように言ったのは、もちろん1部でのソロ演奏の緊張を受けてものであるはずで、実際2部では菊池との軽妙な話も織り交ぜながら、演奏し合う相手の高揚を受けて、さらに自分も高揚していくというセッションならではの盛り上がりを見せて印象的だった。
ただ、1部の演奏するほどにシリアスになっていき、自分の足元を掘り進んでいくような演奏もじつに魅力的で、さらに言えば、一人で自らの深いところに掘り進んでいってしまうそのシリアスさを他でもない黒沢自身がよく承知しているからこそ、人との共同作業のなかでポップな表現に向かおうとするのだろうという、彼の表現の深層をかいま見せることにもなったように思う。
アンコールのMCで黒沢が「このアルバムを、ぜひみなさん、愛してください」と語ったのも印象的で、本当に納得のいく作品ができたんだなあとあらためて思わせられた。
2010年
12月
18日
土
サンフランシスコに根づいたロックと言えば、ジェファーソン・エアプレインやサミー・ヘイガーなどがあげられるが、人気、実力ともにベイエリアを代表するグループということになると、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースではなかろうか。1980年代後半においては、アルバム『スポーツ』が700万枚、『フォア』が300万枚の売り上げを記録。ベイエリア・ミュージック・アウォードの常連でもあり、サンフランシスコの地域振興にも貢献している功労者という点から見ても、ヒューイ・ルイスはNo.1の実績をあげている。
ところが、である。今回のピックアップ曲「カップル・デイズ・オフ」は、シングル・チャートにおいて11位に止まってしまい、この曲をリード・トラックとしたアルバム『ハード・アット・プレイ』はヒューイ・ルイス&ザ・ニュース史上、初のTOP10シングルを持たないアルバムとなってしまった。ここを分岐点として、彼らの人気は下り坂に向かうことになる。
「カップル・デイズ・オフ」のヒット状況は、ヒューイ・ルイスにとって様々なことをもたらした。クリサリス・レーベルからEMIに移籍したものの、第一弾であったこの曲がEMIの思惑を大きく下回る売り上げに終わり、結果EMIからは3枚のアルバム契約を残したまま離脱。代わって契約に名乗りをあげたのがエレクトラだったが、ロックンロールのカバー・アルバム『グレート・アメリカン・ソングス・トリビュート』が商業的に失敗し、エレクトラともケンカ別れ。結局、インディーズで活動することになったわけで、この曲が苦難の道のりの出発点でもあったということになる。
しかし、そのヒット規模のわりには、ヒューイ・ルイスの社会的活動は盛んだった。
サンフランシスコの身体障害者学校への寄付を目的とした“ブリッジ・ベネフィット”のコンサートはすっかり定着して毎年の恒例行事になっているし、エイズ・チャリティではサンフランシスコにあるボズ・スキャッグス経営の店“ブルー・ライト・カフェ”を会場に125万ドルという高額のコンサートを企画。アッという間に完売となり、ビッグなチャリティ・イベントとなったが、ヒューイはすべてノー・ギャラでチャリティに協力している。
さらにスティングの依頼による熱帯雨林ベネフィットでも高い入場料をとって少人数の観客相手のショーを行っているし、サンフランシスコ大地震の際にも救済ライブを行って、全額を市に寄付。復興援助に立ち上がっている。また、イラク・クウェート問題のためにサウジアラビアに向かう救援部隊を激励するためサンフランシスコ空港に出向き、数百名におよぶ軍隊全員にサインして無事を祈ったりもした。
91年10月のビル・グラハム死去に際しても、サンフランシスコ・ロック界の英雄をリスペクトし、その後数人のトリビュート・ライブなどにも積極的に参加している。ひと言で言えば、“いい人”なのだ。
ヒューイの“らしさ”を伝える面白いエピソードがある。
92年の来日コンサートを前に、日本のTVに彼が出まくったことがあった。バドワイザーが日本でのマーケット拡大を目的にアメリカを感じさせる人をイメージ・キャラクターにして日本向けのTV−CMを制作することになり、そのイメージ・キャラクターとして彼が選ばれたのだった。91年4月にリリースされた「カップル・デイズ・オフ」がこのCMによって再び盛り上がり、来日コンサートが盛況であったのは言うまでもない。
ジーンズのリーバイスのキャラクターに起用されたことでもわかる通り、ヒューイは日本人から見て、“最もアメリカを感じさせるアーティスト”のひとりであるのだろう。だからこそ、インディーズでの活動になってしまったものの、98年の大宮ソニックシティでのコンサートはアメリカン・ロック・ファンが大挙押し寄せて、大変な盛り上がりとなった。まさに、“ヒューイ・ルイスは死なず!”と思わせるコンサートだった。
2010年
12月
16日
木
2010年を締めくくる東・阪・名ツアーの最終日。今年最後のワンマンは、ツアー・タイトルにもなっているシングルのリリースはあったものの、「夏フェスでやるような曲はやらないよ」(山中)というマニアックなセット・リストだ。が、マニアックとは要するにアルバム曲や懐かしい曲が散りばめてあるということで、それはバンドの地力というか底力を確認できるライブでもある。
ただ、いまさら「the pillowsの底力はやっぱり凄い」と書くのもなんだか間抜けな感じがするし、実際のところ、この日のように中身が濃いと感想は「凄い」なんて言葉だけでは言い尽くせない。例えば山中言うところの「憂鬱な曲」が続いてもポップな枠組みはしっかり押さえながら切ない哀しみが滲み出してくるような感覚はやはりpillowsならではで、そうした楽曲が脂の乗った演奏で展開されるわけである。
帰りの電車を待つ駅のホームで、隣りに立った2人連れのにいちゃんの片方が「<Another Morning>が聴けて良かったなあ」と妙にしみじみつぶやいた感じが印象的で、その言葉にならないものをなんとか言おうとして彼の場合はたまたま「Another Morning」に凝縮したんだろうと勝手に納得してしまった。
ところで、アンコールで山中が語った妄想話は、面白可笑しく語られてはいても、なんだか山中さわおという人の業のようなものを感じて、個人的にかなり感慨深かったし、だからこそやっぱりthe pillowsは大丈夫とも思ったのだった。
2010年
12月
15日
水
今年デビュー20周年を迎えたLITTLE CREATURESが12月15日にニュー・アルバム『LOVE TRIO』をリリースした。
2010年
12月
15日
水
藤井フミヤが自身初となる配信限定楽曲「終わらないでクリスマスイブ」を、12月15日から期間限定でリリース。
2010年
12月
15日
水
黒沢健一が、ライブ盤とスタジオ録音盤をセットにした2枚組ニュー・アルバム『V.S.G.P』を12月15日にリリースした。
2010年
12月
15日
水
石川さゆり with 奥田民生のシングル「Baby Baby」のCD+DVD盤が、12月15日にリリースされた。
2010年
12月
15日
水
ソウル・フラワー・ユニオン2年ぶりのオリジナル・アルバム『キャンプ・パンゲア』が12月15日にリリースされた。
2010年
12月
12日
日
恒例の「さとがえるコンサート」。
今回も、メンバーはMarc Ribot(g)、jay Bellerrose(ds)、Jennifer Condos(b)というラインナップだ。
去年のステージを見た時に、3人とも田舎の役場職員みたいだなと思ったけれど、ルックスは相変わらず。でも、その演奏は役場職員的な実直さとは対極にあるもので、今年はそのセンシティブで自在なセンスにいっそう磨きがかかったというか、このラインナップも3年目ということでいよいよ気心が知れて持ち前の個性がより明解に押し出されることになったんだろうと思う。洗練という言葉が連想させる都会的な滑らかさはないのだけれど、しかし十分にこなれていて、しかも相当にこしが強いグルーヴが印象的。しかも、キリキリとした鋭角的な感覚ではないのだけれど、でも確かな前衛性とでも言うべき、月並みにまとまらない独自な感じでワクワクさせてくれるのだ。
矢野のライブではいつものことだが、”ああ、音楽を楽しんだなあ”と思わせてくれるステージだった。
1.Song for the sune
2.Season of the end
3.The Wall
4.Good Girl
5.変わるし
6.All the bones are white
7.ひとつだけ
8.恩赦
9.Naima
10.Say It Ain't So
11.House of Desire
12.LEARNING/Manabeyo
13.Joy
14.ラーメンたべたい
15.Whole Lotta Love
[ENCORE]
1.Centerpiece
2.ふなまち唄
2010年
12月
11日
土
60年代アメリカのベイエリアに起こったフラワー・ムーブメント、ヒッピー・カルチャーの中心的存在だったジェファーソン・エアプレインも、80年代に入るとロックをビジネスとする時代の流れに合わせて少しずつ変化することを余儀なくされていた。74年にメンバー・チェンジをしたのをきっかけに、ジェファーソン・スターシップと改名したのに続き、85年に中心メンバー、ポール・カントナーが脱退したタイミングでスターシップと再び改名。そのスターシップ初のシングルがこの「シスコはロックシティ」だった。
マーティン・ペイジと、エルトン・ジョンの相棒、バーニー・トービンとの共作曲に、バンドのプロデュースを担当したピーター・ウルフとデニス・ランバートが手を加えることで完成したこの曲は、1985年11月16日、ビルボード・シングル・チャートのトップに立った。なんと、これが20年の歴史を持つバンドにとって初のNo.1である。
メンバーのクレイグ・チャキーソとミッキー・トーマスは、ミシガンでコンサートを終え、連れ立ってホテルに戻る車中で何気なく聴いたカーラジオで、この曲がビルボードのNo.1になったことを知った。
もちろん、この曲がチャートを上昇していることは知っていたが、前週は5位で、上には1位の「マイアミ・バイスのテーマ」をはじめ「パートタイム・ラバー」や「セイビング・オール・マイ・ラブ・フォー・ユー」などがあって、とても1位になれるとは思っていなかったそうだ。
だから、二人は余計に興奮し、ホテルの駐車場でクルマをスピンさせて喜びを表現していたが、そのうちにあやまって壁に激突。駆けつけた警官には事情を説明して許してもらったということだが、警官は捨てゼリフのように「もう2度とNo.1ヒットが出ないことを祈ってるよ」と、つぶやいたそうだ。もっとも、この警官の祈りは通じず、続く「セーラ」でもスターシップはNo.1を獲得した。
ところで、この曲、サンフランシスコのご当地ソングのように言われているが、最初からそれを狙って作られた曲ではない。曲中に聞こえてくるラジオDJ(その声は本物のベテランDJ、レス・ガーランド)が、「ゴールデンゲイト・ブリッジを見ながら、ゴージャスに晴れ渡った土曜日にお送りしています。あなたのフェイバリット・ステーション、あなたのフェイバリット・ラジオ・シティ。そう、寝ることのない、ベイエリアのロックシティからお届けしています」としゃべっていることから、ロックシティ=サンフランシスコとなったわけだ。以来、サンフランシスコの観光協会もこの曲をいろいろなキャンペーンのイメージソングに使って、街の曲として定着させていった。
そうしたキャンペーンのひとつに“ケーブル・カー救済支援活動”がある。サンフランシスコの街中を走るケーブル式路面電車は1873年に開通した歴史のあるもので、ユニオン・スクエアからフィッシャーマンズ・ワーフまでの2路線とマーケット・ストリートからポーク・ストリートまでという全3路線は街のシンボルのひとつだったが、利用客の減少と交通渋滞により廃止が検討された。しかし、ケーブル・カーは市の財産ということで、スターシップの曲を使った大キャンペーンが展開され、おかげで市民からのカンパも集まり、ケーブル・カーは生き延びたのだった。
また、プロ・スポーツの応援でもよく使われる。NFLのサンフランシスコ・フォーティーナイナーズのホーム・グラウンド、キャンドルスティック・パークでこの曲がオンエアされると観衆の大合唱になるという具合で、まさにご当地ソングになっているわけだ。
ちなみに、これほど愛されている曲だから、選挙のときにも好んで使われるらしい。さらに言えば、スターシップ3曲目のNo.1ソング「愛は止まらない」もしばしば選挙運動の支援ソングとして使用されている。ボーカルのグレース・スリックが政治に対して並々ならぬ意欲を見せているからなのかどうかわからないが、いずれにしてもポップスを使用するところに我が国とは違う政治環境が見て取れる。
2010年
12月
08日
水
稲垣潤一の人気デュエット・カバー・シリーズ『男と女』3作がボックス・セットになって12月8日にリリースされた。
2010年
12月
08日
水
安全地帯の、今年のツアーから10月5日と6日に日本武道館で行われたライブの模様を収録したライブ・アルバム『安全地帯“完全復活”コンサートツアー2010 Special at 日本武道館〜Start&Hits〜「またね…。」』が12月8日にリリースされた。
2010年
12月
08日
水
EARTHSHAKERのニュー・アルバム『BACK TO NEXUS』が、KING RECORDSのNEXUSレーベルより12月8日にリリースされた。
2010年
12月
08日
水
ムーンライダーズの白井良明率いるメタ・ポストロックバンド、sclapが活動9年目にして初のアルバム『Build & Scrap』を2011年1月12日にリリースする。
2010年
12月
05日
日
アルバム『&C』を携えてのツアー、その初日である。
会場に入ると、方々で「久しぶり~」と言い交わす声が聞こえるけれど、それはつまりChage仲間の、あるいはC&A仲間の同窓会状態であるということか。いずれにしても、おそらくは万難を排してこの日、三郷に集った感じなんだろう。
そういう人たちのことを、ChageはMCで”初日マニア”と呼んだ。
確かに、そういう人たちがいる。初日ならではの緊張感、完全なる予感が確信に変わる瞬間の高揚を特に愛する人たちのことだ。この日の”初日感”が覗いたのは、Chageがジャケットを脱ぐ段取りを間違えたところだったが、もちろんそんな段取りはこちらにはわからない。間違えたとわかったのは、Chage本人がバラしたからだ。つまりは、その初日的緊張にあるChage自身もまた、その緊張を楽しんでいるのだ。
ただ、この日のステージの核心はそうした初日的緊張ではもちろんなく、ツアー前の取材でChageがさかんにアピールしていたバンド感ということである。
アルバムのレコーディングの最初からメンバーを固定して作業を続けてきたツアー・バンドに彼は「チャゲトルズ」という名前を与えたのだが、それはもちろんビートルズのもじりである。そして、そのご本家のビートルズがメンバー4人それぞれの個性のきらめきのシナジー効果によって人気を集めたように、この日のステージでは様々な角度からバンドのメンバーに光を当てるような演出のなかで交錯する光の乱反射によって生じるChageの新しい輝きを浮かび上がらせる意図が伺えて興味深かった。単純に、数人がスクラムを組むように一団となって生み出すバンド感はわかりやすいが、Chageが考えるバンド感とは複数の個性が交わることで生まれる新しい広がりのことなのだろう。
個人的には、バックコーラスを務める久松史奈が歌った往年のヒット曲「天使の休息」が以前よりも味わい深く響いたことが印象的だった。
♪誰にも言えない恥ずかしい話もひとつ残らず笑って言えそうよ/いいよね今夜は/久しぶりに会った/とりあえず飲んで天使の休息♪
多分、この歌詞は年齢を重ねたいまのほうが、久松自身にとっても感じ入るものが大きいんじゃないだろうか。
そんなふうに、バンドのメンバー6人がそれぞれに放つ光が交錯するなかで、Chageはゆったりと、あるいはギラギラと、歌う。サウンドが60年代ブリティッシュ・ロックを基調にした濃密なものであるだけに、そのなかでの歌の響かせ具合は、これからステージを重ねていくなかで、それこそ光が乱反射するようにいろいろな表情を見せるに違いない。
そんな予感にとらわれた、いかにも初日的なステージだった。
2010年
12月
04日
土
1984年7月にリリースされたブルースの大ヒット・アルバム『ボーン・イン・ザ・USA』は、86年になってもまだシングル・カットが続けられるほどのロングセラーになったわけだが、翌87年には5枚組ライブ・アルバムをはさんで早くもスタジオ録音のニュー・アルバムとして『トンネル・オブ・ラブ』がリリースされた。同作からの第一弾シングル・カットがこの「ブリリアント・ディスガイズ」だ。87年11月にはビルボードのシングル・チャートで最高位5位を記録している。
84年の『ボーン・イン・ザ・USA』でアメリカの顔になったブルースは、芸能界長者番付でもTOP3にランクされ、“大統領にしたい男”アンケートでもトップを独走していたが、この曲およびニュー・アルバムのヒットで好感度はさらにアップした。これは、このアルバムに込められた、ブルースの“愛”の表現や、85年に結婚したジュリアンヌ・フィリップスとの幸せそうな結婚生活、ある意味できわめて“小市民的”な姿を見せることがそうした印象につながったと見ている人が多いようだ。
この年の12月にはポール・サイモン、ビリー・ジョエル、ルー・リード、ジェイムス・テイラーとともに、ホームレスの子どもたちを救済するチャリティ・コンサートに参加。翌88年にはアムネスティのヒューマン・ライツ・ツアーの主宰者のひとりとして、スティング、ピーター・ゲイブリエル、トレイシー・チャップマンらとともにワールド・ツアーを敢行。社会問題に対する意識の高さを見せ、活動域が広がったことを印象づけた。
それが原因ではないにしろ、88年のジョージ・ブッシュ対民主党のデュカキス候補という図式になった米大統領選では、デュカキス側の応援演説を要請されたりしている。この“デュカキスを大統領に”というキャンペーンにはロバート・レッドフォードなども参加したのだが、苦戦を伝えられるデュカキスにとっては一発逆転につながる派手なパフォーマンスとなるはずだった。ところが、これが逆に火に油を注ぐ形となって、“ブルースをアメリカ大統領に”という運動が再び活発になり、デュカキスへの関心は薄れてしまったという皮肉な現象も引き起こした。
こんな騒ぎの渦中にあって、ニール・ヤングのコンサートに観客として参加したブルース。ニールがアンコールで「次の曲、誰か手伝ってくれないかなあ」と、よくある観客参加曲の前フリを行ったところ、ブルースが観客席からステージに上がり、即席のジョイント・コンサートが実現した、なんていうお茶目なエピソードも伝えられている。
さて、「ブリリアント・ディスガイズ」の歌詞のなかには、愛に満ちた家庭生活を送っている男らしからぬ、不穏当なフレーズがいくつか出てくる。いわく“お前は愛する女を演じ、オレは誠実な男を演じている”。いわく“今夜、ふたりのベッドは冷え冷えとしている。神よ、自分が確信していることを、疑っている男にあわれみを”(いずれも、三浦久氏の対訳より)。意味深な歌詞だが、この歌詞が真実のものとなる日がくる。
アルバムが大ヒットし、ワールド・ツアーも絶好調だった88年8月。ブルースは、日本流に言うと、不倫現場を“フォーカス”されてしまったのだった。バック・ボーカリストのパティ・スキャルファとの仲が相当“不適切”であることを証明する写真が新聞紙上をにぎわせ、ジュリアンヌはすぐさま離婚に向けてアクションを起こした。とすると、彼女の側にも“離婚願望”があったのだろう。こうなってくると、にわかに「ブリリアント・ディスガイズ」の歌詞が真実味を帯びて迫ってくる。そのアーティストの女性関係が、ひとつのヒット曲の存在で立体的に見えてくるなんてところにも、シンガーソングライターの味わい方があるのではないだろうか。
その不倫については夫婦双方納得していたのかもしれないが、証拠写真を突きつけられたブルース側の不利はいかんともし難く、彼が支払った慰謝料は一説によると50億円というから、なんとも高くついてしまった。ただ、その原因ともなったパティ・スキャルファとは、めでたく91年6月8日に結婚。今は幸せな生活を送っており、結婚から10年目の2000年に行われた全米ツアーでは「俺のかけがえのないパートナー」とパティを紹介している。
ホンワカ・ムードのブルースに往年の怒りがなくなったと嘆くファンもいるが、じつはこのツアー中に物議をかもした新曲「アメリカン・スキン」を発表している。この前年にブロンクスで起きた警官による黒人射殺事件を題材にして、銃規制問題や人種差別問題を激しい口調で歌った問題作。この曲に、警察幹部は一斉に反応し、ブルースの警備をボイコットするという事態にまで発展した。このことを“怒りのブルース復活”と快哉を叫ぶファンが多かったというのも、きわめてブルースらしいエピソードである。
2010年
12月
01日
水
伊勢正三がセルフカバー・アルバム『ISE SHOZO SELF COVER SELECTION』を12月22日にリリースする。
2010年
12月
01日
水
DREAMS COME TRUEが11月30日にニュー・アルバム『LOVE CENTRAL』をリリースした。
2010年
12月
01日
水
GONTITI 20年ぶりのクリスマス・アルバム『Merry Christmas with GONTITI〜Best Selection of Christmas Songs〜』が11月24日にリリースされた。
2010年
12月
01日
水
怒髪天が11月24日に完全生産限定シングル「Merry X'mas Mr.Lonelyman」をリリースした。
2010年
12月
01日
水
the pillowsが、相変わらず右肩上がりの勢いを見せつけた2010年の活動を締めくくる、そして来年早々にリリースされるニュー・アルバムのガイドともなるニュ−・シングル「Movement」を12月1日にリリースした。