2011年

1月

31日

2011.1.30 Chage@渋谷C.C.Lemonホール

 アルバム『&C』を携えてのツアー、そのファイナルである。

 この日のMCで再三説明していた通り、『&C』はツアー・メンバーがそのままレコーディング・メンバーという体制で制作されたものであり、ツアーのなかでそのアルバムは完成されるという意識でこのツアーは展開されてきた。だから、この日はまさに1枚のアルバムの出来上がりを体験するステージだったわけだが、例えばツアー初日のステージと比べてみると、バンドの演奏がツアーの終了を惜しむようにていねいなものだったことも含め、やはり1曲1曲の目鼻立ちがくっきりした。もちろん、音源のなかでそれぞれの曲が一度定型を手に入れているわけだが、それがツアー初日にはライブの躍動感が加味され、あらためて流動的になり、どういうふうに練り込まれていくのか?と期待させたものがこの日のステージでは新たな着地点を見出していたということである。

 そのポイントは、個人的には音源よりもいっそう歌に寄ったバランスになったように思う。アルバム『&C』はロック的なバンド・サウンドがテーマだったが、それがツアーを経て、やはり歌に収斂していくことになったことにChageのライブの真骨頂を見て取ることも可能だろう。つまり、サウンド・スタイルを選ばないそのボーカルの個性が改めて確認されたという意味で、やはり今回のツアーは他でもないChage自身にとってとても有意義なツアーだったと思われる。実際、終演後、挨拶に現れた彼はいつにも増して晴れやかな表情で、とても穏やかに興奮しているようすが印象的だった。

 

 

 

1.Knockin' On The Hill

2.無敵の海へ The Fishes

3.勇気の言葉

4.春の雪

5.Style

6.手を握った

7.ふわり

8.Milky Way Blues

9.月がいい訳をしてる

10.アイシテル

11.天使の休息

12.All You Need Is Live

13.CRIMSON

14.永遠の謎

15.&C

[ENCORE]

1.まわせ大きな地球儀

2.SOMEDAY

3.Windy Road 2010

 

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2011年

1月

29日

Vol.28 ホイットニー・ヒューストン「オールウェイズ・ラブ・ユー」 2011.1.29

 1992年から93年にかけての全米ヒット・チャートを荒しまわったホイットニー・ヒューストンの「オールウェイズ・ラブ・ユー」は、彼女にとっていろいろな意味でエポック・メイキングなヒットとなった。ご存知の通り、ケヴィン・コスナーと共演、しかも初の主演映画となった「ボディガード」のテーマ曲である。

 

 じつはこの「ボディガード」、当初主演が予定されていたのはダイアナ・ロスだった。ところが、ダイアナ・ロスは脚本の段階でヌード・シーンがあるという理由で出演を受けず、代わって白羽の矢が立ったのがホイットニーだった。当然、ホイットニーはヌード・シーンがあることを知っていて出演を承諾したわけだが、クランクインして問題のシーンの撮影日になるとヌードを拒否。出演辞退もあり得るという状況まで態度を硬化させた。映画製作側は、すでに半分以上のシーンを撮り終わっていたこともあって、ベッド・シーンはあるもののハダカはなしという、どこかの国のアイドル・タレントのような解決策を提示してこの問題をおさめた。しか〜し、ケヴィン・コスナーは「何様のつもりなんだ!」と激怒。以来、撮影現場で顔を合わせても2人はひと言も交わさなかったという。ホイットニーはこのとき、すでにボビー・ブラウンと結婚していて、ちょうどボビーとの子どもを妊娠したところ。まさかボビーがやめさせたわけではないだろうが、生まれてくる子どもに気をつかった結果なのかもしれない。

 

 ちなみに、この映画の撮影に入る前、ボビー・ブラウンとの結婚の噂があがっている頃、その噂には根強い否定論があった。それは、“ホイットニーはレズだ”というもの。ホイットニーは「みんながゴシップを信じているなんてビックリ。最初に話を聞いた時はショックで傷ついたわ。でも私は噂が違うってことを証明しようとは思わない。みんな好きに言ってればいいわ」と、とりあわなかった。結局、ボビーとの結婚、妊娠で噂はあっけなく否定された。

 

 また、「オールウェイズ・ラブ・ユー」のオリジナルはドリー・パートンだが、ドリーは映画のスタッフから「サントラに使われ、ホイットニーが歌う」と聞いて、快諾。完成を楽しみにしていたようだ。ただ、完成した曲を聴いてビックリ。「まさかこの曲の歌い出しがアカペラになるなんて、思ってみなかったわ。とっても新鮮だった。それにホイットニーの歌も良かったし、アレンジも気に入ったし、映画も良かったし…。それにも増して、大ヒットしてうれしかったから、ホイットニーにサンキュー・レターを書いたの。“多額の印税ありがとう”ってね」と、お茶目なコメントを寄せている。

 

 さて、この曲は発売以来、順調にヒット街道を突き進んで92年11月にはNo.1となり、その後14週にわたってトップを独走。このヒットぶりとホイットニーの気合いの入った歌いっぷりで、93年度のグラミーではレコード・オブ・ザ・イヤーとアルバム・オブ・ザ・イヤーの主要部門2冠を達成。主要3部門では、彼女にとって初の受賞となった(87年、「すてきなSomebody」で最優秀女性ポップ・ボーカル賞を獲得している)。

 

 この成功はホイットニーにとって大きな意味を持つものになった。というのも、この曲がリリースされる1年前の91年1月27日に行われたアメリカンフットボールの頂上決戦、第25回スーパーボールで彼女は国歌を歌い、ライブ・シングルまでリリースしたが、実は口パクだったという報道があり、その真偽が大問題になっていたからだ。ミリ・バニリ事件以降、口パクに対して神経過敏になっていたマスコミが大々的に取り上げ、ついにカリフォルニア州議会では「ライブ・コンサートにおける口パク使用の禁止」を条例として決めた。それが92年6月のこと。そう、ホイットニーは口パク問題で信用をおとしていたから、ファンの信頼を回復するチャンスが必要だったのだ。結果として「ボディガード」の大ヒット、「オールウェイズ・ラブ・ユー」のグラミー獲得は信頼回復のための最大の効果をあげることになったし、またこの後すっかり映画づいて女優としても輝くことになる彼女のキャリアを開いた重要な景気ともなったのだ。20世紀の最後になってマリファナ所持事件を起こし、ミソはつけたが、やはり20世紀を代表するシンガーであることは間違いない。

 

 

 

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2011年

1月

27日

2011.1.27 センチメンタル・シティ・ロマンス@PLEASURE PLEASURE

 3ヶ月連続ライブの第一回。2部構成で、第一部では1st アルバムを収録順通りに全曲演奏し、第二部では安部恭弘をゲストに迎えるという構成だ。

 第一部は、ライブ・レコーディングが行われていたせいか、中野督男の言葉を借りれば「あまり暴れない」ていねいな演奏ぶりで、それはコアなファンからすれば”ライブならでは感”がもの足りなく感じたかもしれないが、僕としては彼らのコーラス・ワークまで含めたアンサンブルの妙や楽曲自体の魅力を再確認できて、しかもライブの高揚感も味わえるおトクなライブになった。告井延隆が「久しぶりに弦を換えたら、チューニングが合わないよ」といいながら、味なペダル・スティールの演奏を聴かせていたのが、いかにも彼らしくておかしかった。

第二部では、安部の曲に加えて、CSN&Yとキャロル・キングのカバーを披露。第一部とは対照的にお気楽なMCも交わされたが、第一部ではそういうMCがなかったこともライブ・レコーディングの効用と言うべきか。この日のライブ・レコーディングは終演後には盤にして早速販売されていたが、お客さんのほとんどが購入していたんじゃないか。このライブ・レコーディング&即販売企画は2月も3月も行われるようで、ファンにとってはこのライブ盤を購入するところまでがライブの楽しみということになりそうだ。

 

2011年

1月

26日

佐野元春がセルフカバー・アルバムをリリース 2011.1.26

佐野元春がセルフカバー・アルバム『月と専制君主』を1月26日にリリースした。

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2011年

1月

26日

鈴木慶一が「ヘイト船長」シリーズ完結作をリリース 2011.1.26

鈴木慶一のソロ・アルバム『ヘイト船長回顧録』が、1月26日にリリースされた。

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2011年

1月

26日

Charaの20周年記念ベストは新曲を含む全18曲入り 2011.1.26

Charaのベスト・アルバム『Very Special』が1月26日にリリースされた。

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2011年

1月

26日

The pillowsが新作を携えて全国ツアーをスタート 2011.1.26

the pillowsのニュー・アルバム『HORN, AGAIN』が、1月26日にリリースされた。

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2011年

1月

23日

2011.1.23 甲斐バンド@PLEASURE PLEASURE 

 

 昨年12月に公開された映画「照和~My Little Town~」の渋谷での上映が終了するタイミングに合わせて実現したスペシャル・ライブ。その3デイズ公演の最終日である。

  元々は映画館だったこの会場は、椅子席がゆったりしているからオーディエンスとしてはつい落ち着いてしまう環境と言ってよく、逆にステージ上からしてみれば甲斐いわく「無駄に近い」から間合いの取り方が難しい。そんななか、その映画にもなった照和でのライブのように、まず甲斐ひとりで登場し、そこから松藤英男、田中一郎とメンバーが順番に加わっていく構成だった。

 ガランとした印象のステージセットは、おそらくは先の映画で語られている時代の甲斐たちが熱い日々を過ごした照和の地下倉庫兼楽屋がモチーフだったはずで、つまりはこの日のステージは彼らの”始まりの場所”が舞台として設定されていたわけだが、その設定がいよいよ彼らの”現在”を際立たせることになった。それは、照和から始まった時間の蓄積の意味と価値を踏まえているからこその”現在”であり、そういう”現在”に立っているからこそ鳴らせる音の味わい深さがこの日のステージのいちばんの魅力だったと言えるだろう。

 もっとも、その魅力はただ甘いだけではないようにも思う。例えば、アンコールの最後に演奏された「バス通り」の♪学生だった僕にうまく愛は語れなかった♪というフレーズを、十分に大人になった世代はただノスタルジックに聴けばいいのか? それだけでは不十分だと思わせるほどの緊張感を、この日の演奏がまとっていたことを見逃してはいけないと思う。

 

 

1.東京の一夜

2.薔薇色の人生

3.最後の夜汽車

4.野生の馬

5.きんぽうげ

6.花、太陽、雨

7.裏切りの街角

8.安奈

9.三つ数えろ

10.漂泊者(アウトロー)

11.ポップコーンをほおばって

12.風の中の火のように

[ENCORE-1]

1.そばかすの天使

2.地下室のメロディー"Big Nightバージョン"

[ENCORE-2]

1.新宿

2.バス通り

 

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2011年

1月

22日

Vol.27 ボーイ・ミーツ・ガール「スター・トゥー・フォール」 2011.1.22

“一発屋”という言葉がある。定義として言えば、権威あるチャート、例えばビルボードのシングル・チャート(HOT100)に、1曲のみ送り込んで消えていったアーティストということになる。しかし、俗に一発屋という場合、こうした定義に関係なくイメージで捉える場合も少なくない。「マイ・シャローナ」のナックがいい例だろう。他にもちゃんとヒットがあるのに、その曲のヒットの印象だけが特に強烈だから“一発屋”という冠をつけられている。同じように、ボーイ・ミーツ・ガールも3曲のチャート・ヒットを放ちながら一発屋と言われている。それだけ「スター・トゥー・フォール」のヒット感が強烈だったということだ。

 

 ボーイ・ミーツ・ガール。このあたかもアイドルのような名を持つのはシャノン・ルビカムとジョージ・メリルの夫婦デュオで、ヒットを放つ前からソングライター・チームとしてポップス界に多大な貢献をしていた。2人はシアトルの出身で、飛行機で有名なボーイング一族の娘の結婚式で出会ったそうだ。そのときジョージ・メリルはまだ高校生だった。

 以来、2人は地元のマイナー・バンドの同僚として、あるいはソングライター・チームとして、11年の長きにわたって共同作業をすることになる。売れない頃には「フットルース」のサントラ曲でもあるデニース・ウィリアムスの「レッツ・ヒア・ボーイ」のバックでコーラスを担当したりもした。そんな2人がソングライターとして契約したのは84年。そして、チャンスは86年にめぐってきた。ジャネット・ジャクソンのために、という依頼を受けて作った曲「恋は手さぐり」がジャネットには採用されなかったものの、ホイットニー・ヒューストンにピックアップされて、ホイットニー2曲目の全米No.1となったのだ。

 

 一躍認められた2人は再びホイットニーのために「アップテンポの曲を」という依頼を受けた。この曲が生まれたのは、その頃のことだ。

 ホイットニーがLAのグリーク・シアターでコンサートを行った夜、2人もそのステージを見ていた。「恋は手さぐり」を歌い終わって、ホイットニーが観客の拍手を浴びていたとき、ジョージは自分たち2人の頭上を流れ星が落ちていくのを見た。偶然の感動を分かち合おうとシャノンのほうを見た彼は、彼女がノートに“waiting for a star to fall”と書くのを確かめて、“ああ、彼女も同じ思いなんだ”と思い、同時に素晴らしい曲が出来上がるぞと実感したという。

 しかし、ホイットニー・サイドはこの曲を気に入らなかったようで、レコーディングされることはなく、代わりに2人がホイットニーに提供したのが87年ホイットニーにとって4曲目のNo.1となる「すてきなサムバディ」だった。一方、採用されなかった「スター・トゥー・フォール」は自分たちでレコーディングし、大ヒットとなったというわけだ。

 

 ところで、2人は早くから同棲していたのだが、87年の暮れに一度別れている。ホイットニーの2曲のNo.1を生み出し、ソングライターとして脂ののっていた時期ではあったものの、常に一緒に過ごしていたためか2人の間にいつしか溝が生まれ、ジョージのほうが家を出たのだった。が、お互いにしっくりとこない生活を続けるうちに、ジョージのほうから復縁を申し出ている。「2人が一緒にやってきたことが間違いではなかったことに気づいたんだ。それを表現するのは難しいけど、答えは2人で作った歌の中にあるよ」とジョージが言えば、シャノンも「2人がわかり合っていること以外に素敵なことはないはずよ」と応じ、長い春に終止符を打って結婚することとあいなった。この復縁のきっかけになったのが、他でもないこの「スター・トゥー・フォール」なのだ。こうして2人はアーティストとしても、88年、ビルボードのTOP5ヒットを記録したというわけだ。

 

 ちなみに、日本ではこの曲はヒットするまでに多少の時間を要したが、いまでもFMなどでオンエアされるエバーグリーンとなっているし、ヒット後、映画「スリー・メン・アンド・リトル・レディ」の挿入歌としても使用されている。

 

 

 

2011年

1月

19日

ムーンライダーズの旧譜が続々リイシュー 2011.1.19

デビュー35周年のアニバーサリー・イヤーである今年、ムーンライダーズ作品のリイシューが相次ぐ。

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2011年

1月

19日

鈴木祥子のニュー・リリースはSTEREO/MONO2バージョンの聴き比べも楽しい 2011.1.19

武川雅寛(ムーンライダーズ)との新ユニット「クジラとショーコ」を結成したばかりの鈴木祥子が、ニュー・シングル「青空のように」と、鈴木祥子の演奏による架空の女性4人組コーラスグループSindee & Forestonesのミニアルバム『Sindee & Forestones Sings Leiber & Stoller』を1月26日に同時リリースする。

 

 

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2011年

1月

19日

センチメンタル・シティ・ロマンスが渋谷で3ヶ月連続ライブ開催 2011.1.19

昨年、東京・原宿のライブハウスでマンスリー・ライブ企画を展開するなどにわかに活動が活発化しているセンチメンタル・シティ・ロマンス。

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2011年

1月

19日

徳永英明が4枚組DVDとニュー・シングルを同時リリース 2011.1.19

徳永英明のビデオクリップを集めた4枚組DVD「PERFECT CLIPS ~VOCALIST & SONGS~」が1月19日にリリースされた。

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2011年

1月

18日

桑田佳祐の新作試聴会開催!ボリューム十分の充実作3仕様でリリース 2011.1.18

桑田佳祐が2月23日にリリースする9年ぶりのソロ・アルバム『MUSICMAN』の試聴会が1月14日にビクター青山スタジオで行われた。

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2011年

1月

15日

Vol.26 フィル・コリンズ「アナザー・デイ・イン・パラダイス」 2011.1.15

1989年12月にリリースされたフィル・コリンズの約5年ぶりのニュー・アルバム『バット・シリアスリー』は、その年から翌年にかけて例年になく寒い冬を迎えていたアメリカで、社会問題にまでなった。このアルバムからの第一弾シングルとしてカットされた「アナザー・デイ・イン・パラダイス」が、オンエアされるたびに人々の胸を打ったからだ。

 

 

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2011年

1月

12日

郷ひろみが昨年の武道館ライブを収めたDVDをリリース 2011.1.12

郷ひろみが、昨年10月18日に日本武道館で行ったライブ「55! 伝説 FINAL ~Big Birthday~」の模様を収めたDVDを1月12日にリリースした。

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2011年

1月

12日

THE MODSが30周年記念のニュー・アルバムを発表し、ツアーへ 2011.1.12

THE MODSが、デビュー30周年のアニバーサリー・イヤー、その幕開けを飾るニュー・アルバム『LIKE OLD BOOTS』を1月19日にリリースする。

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2011年

1月

12日

ヒカシューが4曲入りミニアルバムをリリース 2011.1.12

ヒカシューのミニアルバム『ニコセロンpart3』が、MAKIGAMI RECORDSより1月25日にリリースされる。

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2011年

1月

12日

山下達郎の新曲は話題ドラマの主題歌 2011.1.12

山下達郎の新曲「愛してるって言えなくたって」の着うたの配信が1月16日からスタートする。

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2011年

1月

08日

Vol.25  ポール・マッカートニー「ディス・ワン」 2011.1.8

世界のスーパースター、ポール・マッカートニーはなぜか“アメリカでは売れない”というジンクスがある。

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