2011.12.11  矢野顕子@NHKホール

 年末恒例の「さとがえるコンサート」。そのステージは、単に矢野がこの時期にワンマン・ステージを披露するというだけでなく、毎年野心的な編成で彼女の衰えぬクリエイティビティを実感できる場として、ファンには見逃せないライブになっている。そして、今年は、9月に人見記念講堂で「世界初演にしてライブ録音という、暴挙としか言いようの無い形」(矢野)で共演を果たした上原ひろみとのピアノ・デュオでのステージだ。

 上原ひろみという人のピアノ演奏については、ちゃんと聴いたことはなかったけれど、とにかくハイテクニックであることは紛れもなく、しかし技術が高いプレイヤーの演奏にありがちなスポーティーな快感に向かう、あまり胸躍るものではないという印象だったから、この日もそれほど期待していなかったというのが正直なところである。

 そして、1曲目の演奏を聴いたところでは、僕の予想通りのような印象を受けた。つまり、上原のピアノは圧倒的にテクニカルだが直線的で、だからこそ彼女と矢野が一緒に演奏すると矢野音楽の重要な個性である、たゆたうようなグルーヴ感が少し後退するように感じられたのだった。しかし、ステージが進むなかで、そのマイナスの印象は徐々に改めなければいけないと思うようになっていった。上原の演奏はとにかくテクニカルだが、その高い技術のベースにあるのは圧倒的な集中力であって、ひとつの音もないがしろにせず、研ぎすまされた音を濃密に繰り出していく。特に肌理の細かいトレモロ演奏の美しさは格別で、彼女の音楽の心地良さが必ずしもスポーティーな心地良さではないことは明らかだった。そして、もっと重要なことは、彼女の演奏の、というかこの日の演奏の最大の魅力はその小さな体に横溢する演奏する歓びが音楽としてこちらに真っすぐに投げかけられたことで、それはまさに矢野音楽の本質に通じるものでもあった。つまり、音楽に身を浸すことしか得られない澄んだ心地良さというものが確かにあって、そういう状態にあることを彼女は音楽化してこちらに投げかけてくるから、こちらもその澄んだ心地良さを共有することになるというわけだ。アンコールで披露した「ラーメン食べたい」をマイルス・デイビスのあまりに有名な「ソー・ホワット」のリフにのせた遊び心まで含め、音楽的な歓びを満喫できるステージだった。

 もちろん、その歓びを最高に満喫したのはおそらくは矢野本人であって、彼女自身が冗談めかせて語っていた上原との共演の大変さはその歓びの大きさを裏打ちするものであり、また創造的な演奏に向かうことにはいつでもアグレッシブな彼女の魅力と音楽性の懐の深さも再確認できた夜だった。