Vol.47 ダム・ヤンキーズ「ハイ・イナフ」 2011.6.18

 1989年、ナイト・レンジャーを脱退したジャック・ブレイズと元スティクスのトミー・ショウ、それにギタリストのテッド・ニュージェントとドラマーのマイケル・カルテロンの4人で結成したバンドがダム・ヤンキーズ。まあ、スーパー・グループと呼んでもいいだろう。「ハイ・イナフ」は、デビュー・アルバムからの2ndシングルで、90年秋にリリース。91年になってからビルボードのシングル・チャートで最高位3位となる大ヒットとなった。元々、“ダム・ヤンキーズ”すなわち“あほなアメリカ人”というバンド名は、ジョン・ウェイトやジャナサン・ケイン、ニール・ショーンが在籍した“バッド・イングリッシュ”すなわち“悪いイギリス人”に対抗したものだ。ジャック・ブレイズはバッド・イングリッシュのメンバーとは非常に仲が良くて、“ダム・ヤンキーズ”という命名もジャックらしいお茶目ぶりを発揮したものだ。

 さて、ダム・ヤンキーズ結成に至るまでのジャック・ブレイズには、ちょっとした葛藤があった。彼は、ナイト・レンジャー時代に、自らが目指す(あるいはバンドの指向する)ハードロック路線が「シスター・クリスチャン」の大ヒットで否定されて、バラード・バンドとして扱われることを経験していた。しかも、レコード会社はバラードのシングル・ナンバーを強要し、ファンもそれを望むというなかで、バラードを歌っていたメンバーがリード・ボーカルであるジャックの立場を危うくした、という事情もあってバンドの中に不協和音が生まれ、結局解散した経験があったから、ダム・ヤンキーズでは「ハードでポップなロック」路線を追求するはずだった。しかし、デビュー・シングルとなったハードロック・ナンバー「カミング・オブ・エイジ」はTOP40にも入らず、バラードの「ハイ・イナフ」がTOP3になったことで、再びジャック・ブレイズは“バラード”という足かせと戦うことになったのだ。結果から言えば、「ハイ・イナフ」以外は、さしたるヒットに恵まれないまま、ダム・ヤンキーズは自然消滅ということになったのだから、よくよく“バラード”についてない男ということになるのかもしれない。

 ギターのテッド・ニュージェントは“野獣”と言われるほど荒々しいプレイに定評があり、こちらもハードロック派。しかし、テッドはこのバンドの活動以外に、興味深い職をすでに手にしていた。それは、趣味のハンティングの延長にあるもので、ボウガンによるハンティングの専門雑誌「ボウ・ハンター」の編集長という仕事である。加えて、子ども向けのアウトドア・アドベンチャー・プログラムを作ったり、サマー・キャンプのリーダーも務めるなど音楽以外の生活の場をみつけ、「限られたハンティング・シーズンにツアーなんかやってられない。“アウトドア”は僕にとって趣味ではなく人生そのもの」と、音楽活動に制限を設けていた。このことは、ダム・ヤンキーズのプロモーション・スケジュールを大幅に狂わせただけでなく、クリッシー・ハインドやベリンダ・カーライル、ポール・マッカートニーといった動物愛護運動に関わるアーティストたちから敵対視され、一時は「ハイ・イナフ」およびアルバム『ダム・ヤンキーズ』の不買運動にまで発展した。クリッシー・ハインドなどは、雑誌や新聞を使ってテッドに論戦を挑み、いかにハンティングが野蛮な行為であるかということを採算にわたって主張した。テッドにとっては音楽どころではなくなっていたとも言える。

 バラードの亡霊に悩むジャック・ブレイズと動物愛護団体を敵にまわしたテッド・ニュージェント。おまけに、コンサートでサダム・フセインに見立てた人形にボウガンの矢を放つという過激な演出を行ったところ今度はアラブ・ゲリラも敵にまわすことになってツアー・バスに放火されたりと、まさに踏んだり蹴ったりの状況だった。元々、トミー・ショウもジャック・ブレイズも“グッド・アメリカン”であるから“ダム・ヤンキーズ”を演じるには無理があったかもしれない。なんとなく、哀しいヒット曲だ。