Vol.35 マイケル・ボルトン「ウィズアウト・ユー」 2011.3.19

 バラードの名手として知られるマイケル・ボルトンが、デビュー当時はかなりハードなシンガーだったことはあまり知られていない。1975年にデビューした後、ソロとバンドの両方のキャリアでリリースしたアルバムは成功に至らず、83年に本名のマイケル・ボロディンからボルトンに改名。再デビュー作となったのが、『大いなる挑戦』という邦題がつけられた『MICHAEK BOLTON』だ。このときの広告に使用されたキャッチフレーズはなんと“ひとりメタル”。つまり、ハードロック/ヘヴィメタルの分野でのデビューだったわけだ。が、87年の3作目『ザ・ハンガー』で突然AOR路線へイメージ・チェンジ。これが、現在のバラードの名手マイケルのスタートだった。

 

 このとき、ファンの人たちと直接交流を持ちたいというマイケルの発案から、“ボルトン・ホットライン”を開設する。これは、ファン・クラブの電話と考えればわかりやすいだろう。ファンはジャケットに記された番号に電話して、係の人に電話番号と住所を伝え、質問の内容を告げておけば、マイケル・ボルトン本人かスタッフから直接回答が寄せられるというものだ。通常はツアーの予定や次回作のことなどに質問が集中するのだが、ある日フィアンセにいきなり結婚を破棄されてひどく落ち込んでいる男性から電話が入った。彼は、自殺を考えているという。たまたま電話の応対に出た女性が長電話の末、自殺を思いとどまらせたのに続いて、連絡を受けたボルトン本人もこの男に電話していろいろと悩みを聞いてあげ、おかげでこの男性は今でも元気に暮らしているそうだ。

 

 この事件が、マイケル・ボルトンを変えた。心が病んでいる人々やこの世の中に希望を失ってしまった人々の良き理解者でありたい、そういう人々に勇気と元気を与えてあげたいという気持ちから、ボルトンは人々の心の内側をうるわせる歌を歌っていこうと決意。そのときに思い立ったのが6年前に彼が作ってローラ・ブラニガンに提供した曲「How Am I Supposed To Live Without You:ウィズアウト・ユー」をセルフ・カバーすることだった。同時に、次作をファンとともに心の内面を考えるアルバムにしようと決め、その結果完成したのが『ソウル・プロバイダー』である。

 

 アルバム冒頭のタイトル・ソングで♪愛について、信頼について語ろう。永遠の時について語ろう♪と呼びかけるこのアルバムからは、 ♪もう二度と惨めな思いはしない。胸を張って誇らかに立つのさ。もう二度としくじるものか。オレは強い男に生まれ変わる。両足を踏みしめ自分の力で立ち上がれ♪と歌う「マイ・フィート・アゲイン」(ダイアン・ウォーレン作)、♪友達になれない者がどうして恋人になれる? どんなにつらくてもくじけない。二人でこの愛を育もう♪と歌う「バラーズ」(マイケル・ボルトン/ダイアン・ウォーレン/デスモンド・チャイルド作)を含む5曲のシングル・ヒットが生まれている。そのなかでも最大のヒットとなったのが見事全米No.1に輝いた「ウィズアウト・ユー」で、愛を失った哀しみから、相手の幸せを願いつつ立ち直ろうという心情がテーマになっている。この曲のヒットは、マイケルに初のグラミー賞をもたらした。89年の最優秀ポップ男性ボーカル賞を受賞。2年後の91年にも「男が女を愛する時」で同賞を獲得している。

 

“ひとりメタル”という称号と2曲のグラミー・ウィナーとなった“ポップ・バラードの帝王”というイメージとはずいぶんかけ離れているが、マイケルにとってはリズムやアレンジはあまり問題ではないという。いかに人々の琴線に触れるメッセージを発していけるかということのみが彼には大事なのだ。

 

 ファンのナマの声、真の悩みなどを知ることから、本当の意味で“魂の救世主”たらんとするマイケル・ボルトン。あらためて、歌詞をじっくりと読みながら聴いてみてほしい。