Vol.13 U2「終わりなき旅」 2010.11.02

1987年にリリースされたU2の問題作『ヨシュア・トゥリー』から「ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー」に続く2曲目の全米No.1となったのが、この「終わりなき旅」。それまでのU2は、アメリカン・マーケットにおいてはTOP40ヒットが1曲のみという、完全なアルバム・アーティストだったが、87年を境にシングル・チャートでも常連となった。

 

デビュー以来、つねに様々な社会問題と正面から向き合ってきたU2だが、この『ヨシュア・トゥリー』には、ボノの強烈な戦争体験が生かされている。

ボノが反戦、反アパルトヘイトを訴えながらツアーを繰り返していた頃、連日のように新聞で報道されたのがエルサルバドルやニカラグアの戦争だったが、ボノは新聞報道では本質はわからないと思い立ち、単身エルサルバドルに向かう。そして、首都サンサルバドールにほど近い村を訪ねていたとき、爆撃が開始された。

そのときの恐怖をボノはこう語っている。

「近くの村を爆撃で吹っ飛ばし始めたんだ。ジェットも来たし、オレは走ろうと思ったんだけど、すくんじゃってからだが動かなかった。村の人々が毎日のように体験している恐怖をオレ自身も味わったってわけさ。しかし、村の人たちは、恐れ知らずというか、勇敢だった。みんなはこう言うんだ。“大丈夫だよ。村の反対側に行けば平気だよ”と。そんな勇敢な彼らの顔を見ていたら、自分が小さな存在に思えたんだ」

 

このときの体験は「ブレット・ザ・ブルー・スカイ」という曲として再現されているが、『ヨシュア・トゥリー』に収録されている各曲は、このエルサルバドル訪問によってインスパイアされたものだ、とボノは語る。

「終わりなき旅」の原題“I still haven’t found what I’m looking for”(=僕が探しているものは、まだ見つけることができていない)に込められたボノの思いは、その後もずっと続いているように思える。戦争に反対し、差別を憎み、平和を訴えかけてきた彼らがいま直面しているのは、内線を続け、対人地雷の恐怖を毎日味わっている世界であり、人間が人間の手によって人間の未来を閉ざそうとしている環境破壊が進む世界であるから。

 

この「終わりなき旅」の大ヒットによって、世界中から認知され、超ビッグ・ネームの仲間入りを果たしたU2は、自身の社会活動の規模も大きくしていった。

ビル・クリントン大統領(当時)と公開討論を行い、クリントンの戦争に関する考え方や人権に対する取り組み方を正すとともに、若者が政治に関心を持ち、その投票活動を促進する“ロック・ザ・ボート”キャンペーンに力を入れていたのは92年のこと。イギリス北部のサリーフィールド原子力発電所付近で行われた原発増設反対デモにも参加し、過激な環境団体として知られるグリーンピースの所有するボート「ソーホー」に乗船して原発によって汚染された泥をかき集めるといった作業にも参加する一方、原発反対の署名運動を行い、メージャー首相(当時)に手渡すパフォーマンスも行っている。

 

ところで、この「終わりなき旅」がヒットしている最中、ローマのある街でこんなことがあった。

ある日の午後8時頃。突然、家の窓がガタガタと音を立てて振動し壁に掛けていた絵は揺れ始め、地震警報が鳴り出したと、住人たちが一斉に警察に通報したのだ。が、警察署では異常は何も認められていない。不審に思った警察が現場に急行して調べたところ、地震の原因は近くのフラミニオ・スタジアムで行われていたコンサートだった。午後8時、U2が演奏を始めたとたんの出来事だったという。

09年には、出身地であるアイルランド、クローク・パークでのコンサートの後、地元住民から苦情を受けたことで騒音のレベルを超えていたことが発覚し、U2は3万6000ユーロ(約380万円)の罰金を請求された。

先日も、360°ツアーを敢行中の彼らがスペインでのリハーサル中の騒音で地元住民の怒りを買い、1万8000ユーロ(約190万円)の罰金を請求されたと現地の新聞が報じた。地元当局が発表した声明文によると、バンドは「深夜までリハーサルを行い、予定時間を2時間も延長し、音量は当局が設定したものを超えていた」ことから罰金を命じられたのだという。

 

さて、U2は去る8月25日にロシアでの初となるコンサートを首都モスクワで行った。観客のなかには元大統領のミハエル・ゴルバチョフもいたそうで、今回の公演ではボブ・ディランの「天国への扉」をロシア人歌手ユリ・シェブチャクとのパフォーマンスで披露するシーンが話題を呼んでいる。ちなみに、モスクワでボノがロシアのメドベージェフ大統領と会談している際、ギタリストのエッジはロシア人宇宙飛行士たちと時間を過ごしていたそうだ。