Vol.3 イーグルス「ホテル・カリフォルニア」2010.7.25

言わずと知れたイーグルスのメガヒット「ホテル・カリフォルニア」は、イーグルスにとって栄光の金字塔であると同時に、悩みの種でもあったようだ。

ジョー・ウォルシュは「あのヒットのおかげでノイローゼ寸前だった。周りは“次はなんだ?”とせっついてくるし、実際のところオレたちにもどうしたらいいかわらなかったんだ」と、回想している。

 

 大ヒットを引っさげての大規模なワールド・ツアーの最中にも次のことを考えなければいけないという精神的苦痛と、ツアーに明け暮れる毎日に疲れ果ててランディ・マイズナーが脱退するという物理的困難、さらには「ホテル・カリフォルニア」のリード・ボーカルをとったドン・ヘンリーにスポットが当たり過ぎたために生じたメンバー間の軋轢、特にグレン・フライとドンの不仲説という不協和音。1曲の大成功が栄光をもたらすと同時にバンドに暗い影を落とす原因にもなったのだ。

 

 ところで、この「ホテル・カリフォルニア」とジョー・ウォルシュにまつわる面白いエピソードがある。この曲の有名なイントロで聴かれるアコースティック・ギターの響き、これはジョーのタカミネ・ギターなのだが、ジョーはこのギターを借金のカタにキース・オルセンに取られてしまったというのだ。

 

 ジョーが、キースのプロデュースのもと、キースのスタジオに詰めているとき、その“事件”は起こった。スタジオに備え付けてあったワインセラーからキース自慢のワインの名品をジョーが30日間で110本も飲んでしまった。これを知ったキースは激怒。代金の支払いを求めたところ、ジョーには手持ちのお金がなかったので、例のタカミネ・ギターを出したのだった。その後、そのギターはキースからスコーピオンズに渡り、名曲「ウィンズ・オブ・チェンジ」で使われている。

 

 また、ジョー・ウォルシュがソロ・ツアーのレパートリーに「ホテル・カリフォルニア」と「駆け足の人生」を加えたことにドン・ヘンリーが「あの2曲は彼の曲じゃない」と反発し、これがもとで一度はまとまりかけた1990年の再結成企画はつぶれてしまった。実際、このとき再結成は本当に秒読み段階まで来ていたと言われている。ところが、正式な契約が交わされる直前にジョー・ウォルシュがマスコミに対して「すでにリハーサルを含めて進行中で、すべてのメンバーも納得している。

 

 僕も含めてみんな、イーグルスとして活動することを楽しみにしているんだ」と、リーク。再結成決定と報じられて大騒ぎになったといういきさつもあり、ドンはもちろん、グレンもヘソを曲げて再結成企画は白紙に戻ってしまったのだった。

 

 結局、イーグルスのリユニオンは1994年までズレ込むことになる。ただし、ようやく実現したリユニオンは、メンバーの積極的なアプローチではなく、カントリー界からの待望論が直接の引き金に成った。

 

 93年にカントリー・アーティストたちがイーグルス・ナンバーをカバーしたトリビュート・アルバム『コモン・スラッド』が話題になり、そのアルバムからのリード・トラックとなったトラヴィス・トリットの「テイク・イット・イージー」のPVでドン・ヘンリー、グレン・フライ、ドン・フェルダー、ジョー・ウォルシュ、ティモシー・B・シュミットの5人が共演した。

 

 ここを発火点として世論が再結成のお膳立てをしたわけだが、カントリー界からのトリビュートということもあって、13曲ピックアップされたイーグルスの名曲群のなかに「ホテル・カリフォルニア」はなかった。だから、94年4月になって、MTVのアンプラグド・ライブで、アコースティック・バージョンにはなっていたものの、久しぶりにイーグルスが演奏する「ホテル・カリフォルニア」を体験したオーディエンスは大いに興奮したのだった。

 

 こうしてリユニオンして、世界中をツアーしたイーグルス。日本でも再び「ホテル・カリフォルニア」に対する注目度が高まり、ドラマ「その気になるまで」のテーマとして話題を集め、リバイバル・ヒットすることになる。オリジナル・が全米No.1になってから20年という歳月が流れていた。

 

 そして、2000年。20世紀を締めくくる形で発表されたボックス・セット、「EAGLES SELECTED WORKS 1972-1999」には、ミレニアム・ライヴ・バージョンの「ホテル・カリフォルニア」が収録され、ファンには4つのタイプ(オリジナル、70年代ライヴ、再結成アコースティック・ライヴ、ミレニアム・ライヴ)のこの名曲を楽しめることになった。

※この連載は 2000~2002年に「mc elder」および「mc」で連載した内容を加筆/再構成したものです。