Vol.1 マドンナ「クレイジー・フォー・ユー」 2010.7.12

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http://www.youtube.com/watch?v=A2pYLcdrcQs&feature=related

 

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どんなアーティストでも、そのキャリアの転機となるヒット曲というものがある。マドンナの場合は「クレイジー・フォー・ユー」だったのではないだろうか。マドンナは「ライク・ア・ヴァージン」の全米No.1で一躍注目を集めてはいたものの、まだ“ディスコから出てきた、ラテン系の怪しげなダンス・クイーン”というイメージで、スーパースターにはほど遠い存在だった。本当の意味で、彼女が“大スターの扉“を開けたのが、このバラード曲の全米No.1だったのだ。

 この曲は映画「ビジョン・クエスト〜青春の賭け」の挿入歌である。映画のプロデュースはジョン・ピータースとピーター・グーパー、すなわち「フラッシュ・ダンス」「ミッドナイト・エクスプレス」「ザ・ディープ」などのヒット作コンビだ。主演は83年のベニス映画祭で最優秀男優賞を受賞したマシュウ・モディーン。「当てに行った」作品だったと言えるだろう。学園ものという内容を考慮してグーパー・ピータース・カンパニーは、ゲフィン・レコードに対して「<フットルース>を超えるポップ・オムニバス・サントラ」の制作を依頼。ワーナー・ブラザース映画と共同で、チャート・ヒットを狙えるアーティストを集めることで合意し、スタートしたプロジェクトで、サントラの総合プロデューサーにはフィル・ラモーンが起用された。フィルは、カーペンターズとの親交で有名なジョン・ベティスとジョン・リンドのライター・コンビがワーナー・ブラザースからの依頼で書き下ろした楽曲「クレイジー・フォー・ユー」をつけ、「ライク・ア・ヴァージン」がヒットしていたマドンナに歌わせることにした。ところがレコーディングしてみたものの、ひどい仕上がりだったため、ゲフィン・レコードはフィルをクビにし、アーティストごとにプロデューサーを立てて楽曲をコレクションするという方法に切り替え、「クレイジー・フォー・ユー」はジェリービーンの手によって再びレコーディングが行われた。

 

 サントラには他にジャーニー(第一弾シングル)、ドン・ヘンリー・ウィズGO-GO‘S、フォリナー、ジョン・ウェイト、そして有名になる前のトム・コクランが在籍したレッド・ライダーなど個性的なアーティストが参加。マドンナは自作の「ギャンブラー」と「クレイジー・フォー・ユー」の2曲で参加した。

 彼女にとって幸運だったのは、シングル曲として選ばれたのが「クレイジー・フォー・ユー」だったことだろう。彼女が所属するワーナーと、サントラの権利を持つゲフィンの間で、シングル・カットの権利を巡ってちょっとしたトラブルがあり、当初マドンナの2曲はゲフィンがシングル権を持つはずだったが、土壇場でどちらか1曲ということになり、「ギャンブラー」はおとされた(どちらかといえば、この曲のほうが当時のマドンナのイメージには合っていた)。その結果、「クレイジー・フォー・ユー」がシングルとして世に出たのである。


ちなみに、映画自体は興行的には完全に失敗で、マシュウ・モディーンはその後なかなかいい役をもらえず、長い間苦しんだ、また、GO-GO’Sはこのサントラを最後に解散。アルバムは『フットルース』に続く作品として時代に名を成す予定だったが、翌年にリリースされた『トップ・ガン』にその座を奪われた。そのなかで、マドンナはこの曲のヒットですっかり勢いづいて、以降“本格的なパフォーマー”としての地位を固め、スターダムの階段を昇ってゆく。さらには、映画との関わりも増え、女優としても花開くことになった。つまり、彼女だけがおいしい思いをしたプロジェクトだったのである。

※この連載は2000~2002年に「mc elder」および「mc」で連載した内容を加筆/再構成したものです。

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