Vol.50 ビリー・ジョエル「アップタウン・ガール」  2011.7.9

 1983年夏、「あの娘にアタック:TELL HER ABOUT IT」が全米No.1となり、健在ぶりを見せつけたビリー・ジョエル。このヒットの1年前、82年7月には、無名時代からビリーを支えてきた奥さん、エリザベスと離婚しており、さぞかし失意のどん底にいたんだろうという大方の予想を裏切り、83年に発表されたアルバム『イノセント・マン』は、元気いっぱい、“明るくて快活なビリー・ジョエル”が表現されていた。

 そのアルバムからの第一弾シングルが「あの娘にアタック」で、完全復活を印象づけたというわけ。なにしろ、アルバム『ストレンジャー』の大ヒット(900万枚)でポップス界の王者になったビリーは、続く『ニューヨーク52番街』が700万枚、『グラスハウス』も700万枚、と好調な売り上げをあげていたのだが、初期のライブを挟んでリリースされた『ナイロン・カーテン』は200万枚、とプラチナは獲得したものの、ヒット規模は明らかに下がっており、ビリー人気もここまでかと思われていた矢先だったから、このNo.1は大いに先の展望を楽観させるものだったのだ。事実、アルバムは700万枚を売り上げ、完全に以前の水準に戻した。その原動力になったのが、2 ndシングルとしてカットされたこの曲「アップタウン・ガール」の連続ヒットだった(ビルボード最高位3位)。ビリー自身がフォー・シーズンズの影響を認めたこの楽曲、テーマは下町の男の子と山の手の女の子の恋物語。当然、ダウンタウン・ボーイとはビリー自身のことで、“高嶺の花”アップタウン・ガールとはスーパー・モデルのクリスティ・ブリンクリーのことだ。

 じつは、このアルバムの制作にとりかかる直前、ビリーは『ナイロン・カーテン』プロジェクトの終了を機にカリブ界の島でヴァカンスを楽しんでいる。宿泊先のホテルのバーで遊びでピアノを弾いているときに一人の女性と出会う。それがクリスティだった。ビリーはクリスティに一目惚れし、その日からアタックを開始。しかし、ビリーには新しいアルバムを作り上げなければならないという仕事が待っていた。デートもままならない忙しい日常。ビリーは、クリスティへの想いをエネルギーにして仕事に没頭していく。しかし、元々どこにでもある日常を歌にしていくビリーの手法、クリスティへの募る想いがそのまま曲になっていったのもやむを得ないのかもしれない。こうして、アルバムに収まっていった楽曲のなかには“僕は純真な男”と歌う「イノセント・マン」、“いつまでも君を抱きしめていたい”と歌う「ロンゲスト・タイム」、“今夜は二人だけのもの。明日なんてずっと先のことさ”と歌う「今宵はフォーエヴァー」、自分自身を鼓舞する感じの曲「あの娘にアタック」、“恋してる僕だけど、時々不安になるんだ”と歌う「夜空のモーメント」、“僕は誓いを守り続ける”と歌う「キーピン・ザ・フェイス」、といった具合に“口説きソング”がずらりと並んだ。

 そして、その最たるものが、この「アップタウン・ガール」。“山の手の高級な女。彼女は違う世界に住んでいる。裏通りの男なんか、関係ない。でも、彼女は今ダウンタウンの男を求めているんだ。それが僕さ”と歌うこの曲は、非常にわかりやすい告白ソングだし、スーパー・モデルという高嶺の花に恋した風采の上がらない男の歌。要するにビリーは、1枚のアルバムを丸ごと使ってクリスティ・ブリンクリーを口説いたのである。「アップタウン・ガール」は大ヒットになったから、クリスティがラジオをつけるたびにこの曲が流れてきて、しょっちゅう口説かれている気分になってしまうのだから、その効果は計り知れない。しかも、アルバムの収録曲すべてがクリスティを念頭において作られているのだから、「アップタウン・ガール」のヒットがひと段落した後も、次から次へと口説きソングがラジオを通じて聞こえてくるのだから大変だ。

 82年11月に知り合った二人。83年秋から85年春まで、足掛け3年。合計6曲がヒット・チャートをにぎわし、間接的に口説かれまくったクリスティ。このビリーの作戦が見事に当たり、85年3月、ニューヨーク湾に浮かぶヨットの上で二人は結婚した。翌86年1月にはアレクサ・レイと名付けた女の子が誕生している。ハネムーン・ベイビーだ。ちなみに、アレクサ・レイのレイとはビリーが敬愛するレイ・チャールズからとったという。この娘のためにビリーは「ダウンイースター・アレクサ」という曲も作っている。

 愛するクリスティを手に入れたビリーの幸せな時間は9年間続いた。しかし、彼の浮気がもとで94年に離婚している。浮気の相手もまたスーパー・モデル、エル・マクファーソンだった。懲りないおやじなのである。

 ところで、前の奥さんエリザベスのことを歌った「素顔のままで」は、クリスティが嫉妬するという理由で長く封印されていたが、クリスティと離婚して以降はこの封印は解かれている。ただ、新たに「アップタウン・ガール」が同様の理由でお蔵入りしている。ビリーには、辛い思い出が染み付いてしまった曲なのかもしれない。