Vol.34  フィル・コリンズ「グルービー・カインド・オブ・ラブ(恋はごきげん)」 2011.3.16

 先頃、引退を表明して話題になったフィル・コリンズは、1951年生まれというから今年還暦であるわけだが、彼ほど起用に様々なキャリアを積んできたアーティストも珍しい。ミュージシャンとして名を上げたのは、70年に参加したジェネシス。5年経ったときにはドラマーの立場からリード・ボーカリストになっていた。そして81年にソロ・デビューも飾り、数々のヒット曲を生み出している。この「グルービー・カインド・オブ・ラブ(恋はごきげん)」は、88年の全米No.1ヒットであり、映画「バスター」の主題歌だ。

 

 じつは、フィル・コリンズと映画との間には、切っても切れない縁がある。

 

 まず第一に、フィルのスクリーン・デビューはなんと64年、13歳の時だ。しかも共演者はビートルズ。そう「ビートルズがやってくるヤァ!ヤァ!ヤァ」に、ビートルズを追っかけまわすキッズのひとりとして登場しているのだ。このハナシはかなり有名で、一部のファンの間ではビデオを見て、どれがフィルかをあてるゲームなんてものが流行ったようだが、当時は誰も正解がわからず、かなり後になってからフィル本人がポイント・アウトして明らかになった。 

 

 ソロ・デビュー後、初の全米No.1ヒットとなった曲も映画がらみだ。84年、「カリブの熱い夜」のテーマ曲「アゲンスト・オール・オッズ」がノ。1になり、フィルの映画に対する興味がグンと増したと言われている。そして、この「グルービー・カインド・オブ・ラブ」はフィルにとってソロ5曲目、ジェネシスを含めると6曲目のNo.1獲得曲で、当時大変な話題を集めることになった。というのも、単にフィルがサントラを手がけたというだけでなく、主役を演じたからだ(これがフィルにとって2作目の映画)。しかも、映画「バスター」は実話をもとにしており、フィルは実在の列車強盗犯人役だった。60年代初めに起こった列車強盗事件は、イギリス王室も巻き込んだ大事件となり、手配された通称“バスター”は、日本でいうところの、“ねずみ小僧”のようなヒーローにもなったという(01年、その犯人は自らイギリスに帰国した)。そんな背景もあって、この映画の公開時には、ちょっとしたモメ事もあった。

 

 フィル・コリンズも出席して行われた完成披露試写に、英王室からチャールズ皇太子とダイアナ妃(当時)が出席を表明。一部のマスコミに「王室が強盗を礼賛するような行動をとるとは何事か」と強烈にパッシングされた。プリンス・トラスト・コンサートなど、社会活動を通じて王室と交流があったフィルは、チャールズとダイアナにあてて、次のような手紙を書いている。

「私の映画に関心を寄せていただいて感謝しています。しかし、お二人がマスコミの好餌になるのは見るに絶えません。試写会に欠席いただけるようお願いします」

 後日、フィルは映画全編のビデオも手渡したという。この件に関して、マスコミの質問に答えてフィルは「この映画は事件を礼賛するようなものではなく、ロナルド・エドワーズ(バスターの本名)と彼の妻の関係を描いたヒューマン・ドラマダ。いたずらに好奇心を刺激するような報道はやめてもらいたい」と言い放ち、ファンから拍手された。結局、映画「バスター」からは、この「グルービー・カインド・オブ・ラブ」と「ツー・ハーツ」の2曲の全米No.1ヒットが生まれたのだった。

 

 ところで、この曲はカバー曲である。オリジナルは、後に10ccとしてUKポップス界をリードする存在になったエリック・スチュワートが在籍していた、マインド・ベンダーズというマンチェスター出身のロック・グループが66年に放ったヒット曲だ。タイトルにある”Groovy”とは、40年代に使われていた流行語で、“すごくイイ”、“イカしてる”という意味。もともとはグルーブ、つまりレコードの溝に関係している言葉だと言われており、「古いレコード・プレーヤーは針とびが多かったため、イン・ザ・グルーブ、つまり針とびしない状態が続くのは非常にイイ状態である」ということを指す言葉だったようだ。それが縮まって“グルービー”になったと言われ、サイモン&ガーファンクルの「フィーリング・グルービー」やラスカルズの「グルービン」も同じ意味で使われている。